人間劇場とは

反常識的なもの、よけいなもの、風変わりなもの、猥雑なものへの賛歌

ようこそ、人間劇場へ。

当サイトが扱う主題は、ずばり「人間」です。

とはいっても、このサイトのコンテンツには、立派な人の話、健全な人の話、格調高い批評、あるいは美しい動画や画像はあまり出てきません。

というわけで、ご自分を「正しく真っ当な人間」だと思われている方にとっては、不愉快千万なテキストや動画、画像だらけなのかもしれません。

ご容赦ください。

私どものコンセプトは、人間の弱さや愚かしさ、劣情や奇妙なものへの偏愛といったものへの全肯定であり、とりわけエロいものには力を入れたいと思います。

カトリックでは人間の七つの罪、すなわち「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「嫉妬」を固く戒めていますが、そんな戒めは『人間劇場』にとって「屁のツッパリ」にもなりません。あっ、品のない表現で申し訳ありません。

当サイトにたどり着かれたのも何かのご縁、ともあれ一度覗いてみてください。

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人間劇場
青春

第1回:AV女優サライツキの誕生

十八歳の美少女がこちらをみつめている。

大人たちへの反抗的な意思を秘めながら、見果てぬ未来の自分と恋人に思いをはせる。そんな青春のモノローグが表情から滲み出ている。

少女のポートレイトが表紙に載ったのは、『ビデオ・ザ・ワールド』(白夜書房・現コアマガジン社)というアダルトビデオ専門誌の一九八六年十一月号である。

「憶えてますよ。スタジオで撮っていただきました」

あれから三十年。美少女は過ぎ去った日々を慈しむかのように振り返る。

東京西部で生まれ育った一人の美少女は、この写真におさまったとき都立高校を卒業してまだ一年たたない秋の午後だった。

沙羅(さら)樹(いつき)。

記憶力だけは自信がある私だが、沙羅樹は私よりもはるかに三十年前の出来事をまるでつい先週末に起きたかのように再現する。

派生する幾多のドラマは沙羅樹の細胞の隅々にしっかり記録されている。

これから私が紡ぎ出そうとする物語は、沙羅樹の回想が無ければ成り立たないだろう。

少女たちがカメラ前で脱ぎ、乱れ、果てる。タブーが解禁された八〇年代は、いったい沙羅樹の目にどう映ったのか。

誰にも訪れ、消え去っていく青春。

彼女の三十年間、その封印を解き放ってみよう。

東京西部で生まれ育った沙羅樹は、もって生まれた美貌によって自身の運命を宙高く舞い上がらせていく。表紙に写った沙羅樹のかすかに不安そうな表情は、この先自分に降りかかる苛烈な運命を予期しているかのようだ。

一九八六年。

バブルが膨らみだしたこの年の四月、私は三十歳になった。

自分に投げかけられる言葉は、いつも「若いね」「まだ二十代か」「いいなあ」と、若さを称えるものばかりであった。自分には若さが永遠につづくものだと錯覚していた。

だが、歳月は確実に過ぎていく。

ローリングストーンズ「Time Waits for No One」の一節。

 

時は誰にでも平等に過ぎ去っていく(Time can tear down a building)

時はビルディングを倒壊させ、女の顔を壊していく(or destroy a woman’s face.)

時間はまるでダイヤモンドのよう(Hours are like diamonds)

 

曲に流れる印象的な刻を刻む秒針の音は、私にも流れていた。

青春は幕を閉じた。

若さを称えられることは永遠に自分から失われた。

三十歳になった男が二十代のうちに何かをなし得たと自信をもって言えるのは、元甲子園球児とジャニーズ事務所のアイドルくらいだろう。

若さゆえの野心を抱いて、どこの組織にも属さず生きてきた私にとって、三十という年齢は現実を思い知らされつつある時でもあった。

沙羅樹が『ビデオ・ザ・ワールド』の表紙を飾ったこの年、二十四歳でフリーランスの物書き稼業になり、数冊の書き下ろし本といくつかの署名原稿の連載を抱えていた私は、友人たちと高田馬場に共同の事務所をもうけた。

当時出回りはじめたワープロを導入し、生まれて初めて手書き以外の原稿を打ち出すようにもなった。自分の書く汚い文字に辟易していた私は、ワープロのおかげで物書き稼業がずっとやっていけると歓喜したものだ。

フィルムの発明がチャップリンと黒澤明を生んだように、新たなハードウエアの登場は新たな英雄を産み落とす。

一九八〇年代に入り、家庭用ビデオデッキが普及し始め、百万円もしていた再生デッキは三十万円から二十万円に値下がりし、多くの家庭にはビデオデッキが置かれだした。その際、価格の値下がりもさることながら、実のところ自宅で女の裸が観賞できることが、購入動機の最大公約数だった。

アダルトビデオとよばれる裸と疑似セックスが写し出される作品群が売れに売れだす。

当初小売り価格一万四千円していたこれらのビデオは、レンタルビデオ店が街中に増殖すると、一泊数百円単位で借り出され、夜ごと寂しい男たちの相手をつとめるようになる。

アダルトビデオメーカーがいくつも立ち上がり、膨大な利益をあげ、AV女優という新しい職業の女たちが陸続と誕生していった。

十八歳の沙羅樹もその一人だった。

当時デビューしたAV女優たちのなかでも沙羅樹は異質だった。

アイドル的風貌は他のAV女優たちなかでも群を抜き、透明感のある素肌にエメラルドグリーン色の双眸は北欧系の血が入っているのではないかと噂がたった。

真実は、あくまでも東京西部出身、生粋の日本人で、エメラルドグリーンの虹彩は生まれながらのものだった。

私と沙羅樹の出会いを記憶の底から掘り起こしてみた。

まだ沙羅樹としてAVデビューする前の一九八六年春、どこかで彼女の写真を撮ったシーンがかすかに甦ってくる。

「そうですね。わたしの宣材写真を公園で撮ってもらったんですよ。春です。妹が気に入ってその写真を部屋に飾ってました。その後、渋谷のプールバーに写真をもらいに行って、写真選ぶ時に本橋さんもいたんです」

公園……?

すっかり忘れていた。

沙羅樹のデビュー作を売り出すことになった、クリスタル映像という新興のAVメーカーの事務方の本部は早稲田鶴巻町にあった。

そこにまだ十八歳の沙羅樹がやってきて、宣伝材料用の写真を撮ることになったのだ。

なにゆえに私が沙羅樹の写真を撮ることになったのかというと、私と友人がやっていた共同の事務所で受けた仕事のひとつが、ある大手出版社から出ていた男性隔週誌の企画だった。若い男女が出会って恋に落ちて、関係をもつ。そこに至るまでのシーンを男女のモデルが演じる。そのモデル役として誰か新人の脱げるモデルはいないか、ということで私は沙羅樹に依頼してみたのだった。

写真は編集部に提出する資料として撮ったのだろう。

早稲田鶴巻町にあったクリスタル映像本部からほど近い鶴巻町公園で、沙羅樹が被写体になった。

桜舞い散る花曇りの午後、一八歳の美少女がたたずむ。

その翌週。

写真の仕上がりを確認するために、私はその頃都心で増殖しだしたカフェバーという都会風のバーで沙羅樹と落ち合った。

彼女の隣には、黒い帽子をかぶった小粋な中年女性がマネージャーのように付き添っていた。沙羅樹の母だった。

「春でした。沖縄ロケが三月で、その後会ったんですよ」

たしか高田馬場の地下一階にあった……。

「いえ。渋谷です。道玄坂の」

人間の記憶はどこかで入れ替わるのか。

高田馬場と渋谷の違いはあったが、沙羅樹の母が同席していた記憶は正しかった。

「撮ってもらった写真、もらいにいってその場で選ぶとき、本橋さんもいたんです」

お母さん、帽子かぶっていた?。

「そうそう(笑)」

たしかその隔週誌のモデルの話が気に入ってもらえず、立ち消えになった記憶が・・・・。

「男性とからむような話だったと思います」

十八歳の美少女には、すでに自我が芽生えていた。

まわりの大人たちの意見に押し流されることもなく、イエス・ノーをはっきり口にした。

「わたしは写真のあがりが気に入っていなかったんです。でも妹が気に入ってその写真、ずっと部屋に飾ってる(笑)」

沙羅樹の選択は正しかった。

この後、大きな仕事が相次ぎ降ってくるのだから。

沙羅樹は一九六八年三月、緑の多い東京郊外で生を受けた。

小さな会社を経営する父と専業主婦の母(しゃれた黒の帽子をかぶっていた!)、妹と祖母の五人家族、どこにでもある幸福なファミリーだ。

一般に少女は同世代の男子よりも早熟である。沙羅樹の場合はさらに早熟度が高く、性に目覚めるのも人一倍早かった。

家に、肩こりしやすい祖母が使っていた電動マッサージ器があった。

日本製品は実に性能が良い。電動マッサージ器は本来の目的以外に密かに使われようになり、その用途では「電マ」という隠語で呼ばれてきた。AV撮影の際によく使われる小道具であり、通販で買い求め、数本を引出しに入れている女子大生やOLが最近急増している。

沙羅樹の場合。

「おばあちゃんの電マをなんとなく使ってオナニーしだしたのが小学三年生の時でした」

夜ごと、隣部屋からビーンビーンという電動音が漏れてくる。

おばあちゃんは、とっくに寝ている。

いったい誰が……。

父が部屋をのぞくと、部屋の片隅で頬を染めている長女がいた。

見ると、股間に祖母の電マを押し当てているではないか。

父はその光景にショックを受けながらも、小三の娘に助言をあたえるのだった。

「そういうの毎日してるとメラニン色素で黒くなるんだよ。ボーイフレンドがショック受けるから、毎日はやらないように」

小学校高学年になって胸が膨らみかけても、父と一緒に風呂に入った。父娘、隠し事のないいい関係だった。

沙羅樹の性に対する好奇心はますます大きくなる。

電マオナニーは父に内緒で毎夜していたが、処女膜をそっと押し分けて指を中まで入れることにはさすがにためらいがあった。

大好きなお父さんが家に持ち帰る『週刊ポスト』、『週刊現代』をひろげて、ヌードグラビアをじっと見ることが沙羅樹の密かな悦びになった。

同性の大人の裸を見て言いしれぬエロティズムを感じ、少女は自分にも近い将来訪れるであろう性体験に思いをはせるのだった。

中学生になった長女に父は、何か資格をとっておくことがこれからの女子にとって将来のために必要なのだ、「薬剤師になりなさい」とアドバイスするのだった。

だが長女は薬剤師どころではなかった。

体の芯から吹き上がる欲望は抑えきれなかった。

念願の処女喪失は、中学三年生の時だった。

「(相手は)イッコ下の中二。童貞と処女です。田舎だからやることないから。うまくいかないですね。休憩入れたりして、わたしの部屋でやりました。彼のことすごい好きで小学生のときに一目惚れでつきあっていたんです。中三の時ふられてしまって。ショックで学校休んでいたら、心配してお見舞いに来てくれて。それでそうなっちゃった。体験してみて、気持ちの満足度がありました」

初体験を済ませると、なおも性の深淵をのぞきたくなる。

自分の性器の構造、性能についてもっと知りたくなる。

その頃、『白日夢』(武智鉄二監督)に主演した愛染恭子がハードコアを体現したことで、一躍セックスシンボルに祭り上げられる。

愛染恭子はさらに処女膜再生手術をして、ビデオで第二の処女喪失体験をカメラ前で体現してみせた。

『ザ・サバイバル』(一九八四年)、監督は代々木忠、男優は山科薫(田中角栄の義甥)。

ちなみに、私はその後、相手役を務めた男優の山科薫とは不思議な縁でつながることになるのだが……。

ともあれ、自分の処女喪失があまりいい思い出ではないので、もう一度ちゃんと自分の意思で喪失してみたいという愛染恭子の要望を受け入れ、高須クリニックで処女膜再生手術をおこなった。処女膜再生手術は男性の仮性包茎手術同様、多くの需要がある。

ミクロネシアのヤップ島、灼熱の太陽の下、愛染恭子の処女膜は二度目の破瓜となった。

世間でも話題になり、ワイドショーで愛染恭子の処女膜再生のニュースが流れた時、沙羅樹は興味津々で見入っていた。

この頃、少女はまだ自身の未来図などまったくわからない。

まだカラーコンタクトが普及する前、エメラルド色の双眸をして、素肌が透き通るような色をした美少女は、外を歩くだけで人々が振り返り、沙羅樹の存在は隣街まで鳴り響いた。

都立高校在学中にスカウトされてモデルをやりだしたのも、必然的なコースだった。

そのうちヌードをやらないかと、やんわりとプロダクションのマネージャーが切り出してきた。

一九八〇年代半ば、巷では「新人類」という既存の価値観で縛られない新しい価値観のハイティーンが出現した。女子大生になった彼女たちは、週刊誌グラビアに学生証付きヌードで登場して、世の大人たちを驚かせた。

だが世紀をまたいだ今から見ると、まだまだ彼女たちの性意識はナイーブだった。

性に対して奔放なはずの沙羅樹が、いざ自分に向けてヌードの話が舞い込むと、さすがに躊躇するのだ。

しかし本来なら抵抗勢力であるはずの母親がこんなことを言った。

「若いうちにプロのカメラマンさんに撮ってもらったほうがいいわよ」

父も母もできた両親だ。

事務所に入ると、裸の被写体となった。

早春。

少女はグラビアのギャラをもらいに渋谷のカフェバーまで受け取りにいった。

店内は当時のカフェバー人気もあって、ほぼ九割がた埋まっている。

事務所の社長と仕事の話をしているうちに、社長は他のテーブルに移動してある人物と話し込んでしまった。

沙羅樹は話が終わるのを待っていたが、なかなか終わらない。

すると、社長と話し込んでいた男がこちらをじっと見つめだした。

微笑まで浮かべているではないか。

沙羅樹はこれ以上見つめられると、なぜか自分の心が見透かされそうになるような気がして、目をそらした。

するとその男は手招きする。

仕方なく沙羅樹は男の前に移動した。

美少女の運命が大きく変転した瞬間だった。

冒険が美少女に覆い被さろうとしていた。

発端はいま、目の前の男がつくろうとしていた。

「申し遅れました、わたくし、監督をしております。ナイスだね。素晴らしい。僕と仕事をしませんか」

 

(続く)

 

 

 

 

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