私が三軒茶屋に20年以上前だったか引越した頃、その移り住んだマンションがある前の路地を、森崎偏陸さんがマンガを読みながら歩いていました。今の若い人のスマホ歩きと違って風情があるというか、見ていて微笑ましい姿であります。
それを見て私の家人が「偏陸さんだ! ひょっとしてアノ近所にある寺山修司資料室に行くのか知らん?」と言った。この寺山修司資料室というのは、私が住んだマンションのスグ近くにあり、家の前を通る時にチラッと窓を見ると中に年配の女性の姿が見える。何度もその姿を見ていたのだが、まさかそれが寺山修司の母、ハツさんだとは知らなかった。
その後、映像作家の山田勇男さんとの交流がら知ったことだけどハツさんは亡くなられ、その家に偏陸さんが住むことになったらしい。それからは天井桟敷の人々が大ぜい遊びに来るようになり。私と家人は、ほとんど毎夜とは言いすぎだけど、よく遊びに行くようになったんです。
それはもぉ、劇団の方々だからワイワイガヤガヤ公演を終えた打ち上げのノリの、楽しい飲み会です。料理好きな偏陸さんが腕をふるってくれて美味しいものをいっぱい出してくれます。お酒もみんなが持ち込みます。
女性も多く、どういうわけか北海道出身の人が多かったような気がします。ところが偏陸さんは夜に弱く、眠くなるとサッサと2階に上がって寝てしまいます。それがいつものパターンで、そろそろというわけで御開きになるわけです。
その頃の偏陸さんはデザイナーでした。お芝居のフライヤー(チラシ)やポスターのデザインをされていました。そんな関係で、荒木さんの連載「人妻エロス」を定期的にまとめた写真集のデザインを今でも続けてくれています。2018年の秋には21冊目が出ました。
荒木さんは寺山修司さんと交流があったので、偏陸さんのことも若い頃から知っていました。この「人妻エロス」が週刊大衆で連載をスタートしたのが1997年ですから、当初偏陸さんもたまに撮影現場に訪れていました。現場の空気を吸って、写真集に生かそうと思っていたみたいです。
「スゴイ面白いねぇ! 人妻さんってみんなそれ存在感があるし、荒木さんと人妻さんのやりとりが笑えるし楽しい現場だねぇ」
と、大きな目を更にに大きくしてクリクリさせておりました。そうなんですよ、私が今さら言うのも何ですが、本当に楽しいんです。おなかが出ても、歯並びが悪くても、下着の後が肌にクッキリ残っていても、盲腸の跡も、それがいいんだと荒木さん。人妻さんは服も自前でメイクも自分で素のまま。ヘアメイクやスタイリストはいません。それがいいんだと荒木さん。筋が徹っているのです。
確かにこういうグラビアは他には有りません。唯一荒木さんのこの週刊大衆「人妻エロス」の連載だけです。そして担当編集者が変わり、編集長が変わっても、今現在も続いているのです。
変わらないのは、荒木さんと事務所の田宮さん、安斎さん、そして私と、私の事務所の薬師寺君、それから多くの人妻さんたち。とにかくみーんな個性的で、誰ひとりとして同じじゃないですから(当たり前か)。女性というのはスゴイんだと教えられます。旦那さんはどんな人なんだろうと、想像してしまうのは私だけでしょうか?
23 コメント