
荒木さんは、若い頃電通の社員でしたから、やっぱり銀座には愛着があったんだと思います。フライデーの仕事以外でも、よく私を銀座に連れて行ってくれました。
それと、荒木さんは電通をやめてから「キッチンラーメン」という中華料理屋さんで写真展を定期的にやっていたことを覚えています。これがモノスゴイ写真展で、店内の壁中にヌードのプリントが飾られていて、初めて入った人はビックリしていました。
「ここの鉄板餃子とラーメンを食いながら写真を見るのがいいんだよ!」
と荒木さん。店のオヤジさんも粋な人で、荒木さんのことが大好きだったみたいです。
美容雑誌を作る
さて、印刷屋さんで働いていた頃のこと。末井さんと出会ったことから私がいつの間にかライターになる以前、社長のKさんと交流のあった美容室のオーナーF氏がよく出入りしていました。ある時、そのF氏が、理美容室の専門誌を出したいと相談してきました。
スポンサーは、理美容室に必要な道具や器具全般を扱うメーカーでした。誌名は理容室、美容室の休みの月曜と火曜を合わせた『マンデイチューズデイ』にしたいとのこと。
その話にKさんは乗っかり、私は編集者と取材記者をやらされるハメになりました。
実はそれ以前から、Fさんは発想が実に面白い人でした。原宿に知り合いが多かったことから、原宿の街の飲食店のメニューを複写して一冊の本にまとめて、『原宿メニューブック』というのを作ろうってのも彼の企画でした。その時も私が手伝うことになり、私は友人のカメラマンと二人で原宿巡りをしました。
その頃はちょうどグルメブームの初期の頃です。頁を開くと、見開きがその店のメニューになっていて、店に入らなくてもこの本さえあれば、料理や酒の料金がすべてわかるという訳です。これが馬鹿受けして、原宿の小物雑貨屋さんに置いてもらうと飛ぶように売れたんです。白いカヴァーで、ビアズレーのイラスト(モノクロ)をあしらった、お洒落な本でした。
Fさん、これに気を良くして理美容雑誌を立ち上げようとしたんでしょう。てなわけで、私は社長のKさんの命令で、なぜかアリメカに行くことになるんです。
「向こうじゃ、日本人がスゴク活躍してるんだよ。ビバリーヒルズの美容室の中には日本人が経営する店もけっこうあるんだ。それを取材してきて欲しいんだ。大丈夫、向こうのヘアーカットの大会でグランプリを取った人をコーディネーターに付けるからさ」
と軽くおっしゃるFさん。それを創刊号の巻頭で特集するという。「えーっ!」と驚きながらも、結局行くことに。しかも独りで。
ということは、「写真は? 私が?」とあわててバカチョンを用意した次第です。
ヘアスタイリストでコーディネーターのOさんがLAの空港に迎えに来てくれ、彼の車でそのまま取材に向かいます。もう、バタバタでビバリーヒルズの美容室へ。
Оさんはヘアスタイリストとして有名な人らしく、そのお店も歓迎してくれます。
確かにビバリーヒルズには日本人の、それも若い人が経営する美容室が何軒もあり、取材はスムーズに進みました。
「日本人は器用だと評判なんだよ」
とOさん。みんなハリウッドの俳優さんに依頼されているらしい。TVのキャスターとかは、毎朝出張してもらっているそうです。
数軒取材して、その翌日はハリウッドにある山野美容学校も紹介され、他には有名な『サ・スーン』の本店とか。
それにしても驚いたのは、カットされてるお客さんたち、みんな布被らないこと。だから切られた髪が洋服の上にそのまま落ちている。これでいいのか! と思いました。でも普通みたいでしたよ、それが。
他には一番印象に残った人でゴロ―さんという元絵描きさん。この人、ペテキュアだけを仕事にしていて、女性たちの足の爪にペイントする専門の人なんです。
このゴロ―さんて、すごく人気で何ヶ月も先まで予約が入ってるとのこと。坊主頭の日本人丸出しの人でした。
それにしても日本人ヘアスタイリストたち、毎週末パーティをしていて、ハリウッドの女優さんや客を呼んで楽しくやっているのがちょいと羨ましかったことを覚えています。
というわけで雑誌は創刊され、巻頭の特集は私が構成しました。で、今思えば私のライターとしての仕事は、これが最初だったんですねえ。そお~だったのか! と自分でも今驚いています。
それが今やオ〇〇コの話ぶぁっかり書いているわけですから、どこでどうなるかわかりません。ねえ、末井さん。と冗談で末井さんに言うと、末井さんは必ず、「何? 僕と出会わない方が良かったってーの?」などと目がつり上がります。いえいえ、そんなことたぁ今さらハハハハ、ですよ
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